安倍元総理の国葬によせて思うこと
先日、安倍元総理が遊説中に凶弾に倒れるという、本当に痛ましい事件が起きてしまいました。このような形で人の命が奪われることは、決してあってはならないことです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 何故、国葬? そしてこの度、政府は安倍元総理の国葬を行うことを決定したとのことです。長くこの国の舵取りを担ってこられた方ですから、国葬という判断も、それ自体は政権を委ねている以上、ある意味では仕方のないことなのかもしれません。自民党政権が決めたことですから、その判断に従うということなのでしょう。 ただ、私個人の気持ちとしては、正直なところ、今回の国葬に際して、心から「喪に服す」という気持ちにはなれないでおります。「どうぞ、お決めになった通りに進めてください」というのが、偽らざる心境、と申しましょうか。 かといって、この決定に対して声高に反対の声を上げるほどの気持ちも、今は湧いてこないのです。これから国葬に向けて、世間では様々な議論が起こってくるのでしょうね。賛成される方、反対される方、それぞれの立場からの意見が出てくることと思います。 そんな中で、私が今、一番関心を持っているのは、国葬が行われる その日のこと です。 果たして、国葬当日はどのような雰囲気に包まれるのでしょうか。国民の多くが、本当に心から喪に服し、静かに故人を偲ぶ一日となるのか。それとも、政治家の方々が中心となって儀式は進められる一方で、世間一般は普段とあまり変わらない一日を送ることになるのか。 その日の国民の空気感といいますか、そのあたりに、今の政権と私たち国民との間の、目には見えない「距離」のようなものが、はっきりと表れるのではないか。そんな風に感じているのです。それが良いとか悪いとかいうことではなく、今の日本の姿を映し出す、一つのバロメーターになるのではないかと、個人的には注目しています。 国葬当日がどのような日になるのか、今はまだ分かりませんが、静かにその日を迎え、世の中の様子を見守りたいと考えております。