読書、人生の各段階で変化
自分にとって「読書」は何だったのだろうか 今日は少し、自分にとっての「読書」について考えてみたいと思います。若い頃からずっと本は身近な存在でしたが、改めて考えると、その時々で本に求めていたものが随分と変わってきたように感じています。 振り返れば、若い頃の読書は、まるで遠い世界への「疑似トリップ」だったように思います。テレビのドラマに夢中になった時期もありましたし、映画館に足繁く通った頃もありましたが、本も、ドラマも、映画も、皆、頭の中に一つの仮想空間を作り出し、その世界に身を置いて楽しむためのものだった気がします。SFの世界に胸を躍らせたり、スパイ小説のめくるめく展開にハラハラしたり。あの頃は、ただただ物語の世界に没入することが楽しかったですね。 それが、ある時期からでしょうか、段々と読書の質が変わってきたのを感じます。空想の世界だけでは物足りなくなるというか、現実社会をしっかりと見据えなければならない年齢になってきたということも大きいかもしれません。娯楽としての読書から、教養や啓蒙、あるいは思想に関する書籍へと関心が移っていきました。知識を得ること、物事の考え方を深めることに重きを置くようになったのです。 さて、70歳を過ぎた今、自分は読書に何を求めているのだろうかと、時々自問しています。最近は、仕事や趣味で関心のある理工系の分野について、知識を深めるために図書館へ行くことが多いですね。図書館の本は、やはり情報の信頼性が高いという安心感がありますから。 もちろん、全く小説を読まなくなったわけではありません。たまに、ふと物語の世界に浸りたくなる時があります。平凡な日常を丁寧に描いた心温まる話や、逆に猟奇的な事件の謎を追うような警察・探偵ものなど、様々なジャンルを手に取ります。ただ、小説は登場人物や伏線を追っていく必要があるので、読むならまとめて時間を確保したいところです。少し間が空くと、すぐに内容を忘れてしまうものですから(笑)。 こうして振り返ってみると、自分にとって読書は、人生の様々な段階で形を変えながら、常に傍にあったものだと感じます。若い頃は冒険や空想の世界を見せてくれる窓であり、その後は現実を理解し、自分の考えを深めるための道具となりました。そして今、新たな知的好奇心を満たすための大切な時間となっています。 これからも、読書を通し...