書籍「徳洲会 コロナと闘った800日」を読んで感じたこと
先日、「徳洲会 コロナと闘った800日」という本を読む機会がありました。この本を手にするきっかけとなったのは、私自身の経験と、そこから感じたご縁のようなものからでした。
今から思えば、新型コロナウイルスが日本で大きく騒がれるようになる、ちょうど一年ほど前のことでした。私は京都にある宇治徳洲会病院に、誤嚥性肺炎とアレルギー性の肺炎で約20日間ほど入院しておりました。退院後も8ヶ月ほど外来で通わせていただき、その間、先生方をはじめ、病棟の看護師さんたちには大変手厚くお世話になりました。幸いなことに、私が完治して通院を終える頃に、中国で始まった騒動が日本にも波及してきたのです。あのまま長引いていたら、医療現場が逼迫する状況に巻き込まれていたかもしれません。無事に退院し、完治できたのは本当に運が良かったと思っており、改めて宇治徳洲会病院の皆様には心より感謝しております。私が入院していた病棟が呼吸器内科のメインの階でしたので、余計に当時の皆様のご苦労を想像しておりました。
そのような経緯もあり、書店でこの本の背表紙に「徳洲会」という文字を見つけた時、ふと手に取ってみたくなったのです。宇治徳洲会病院のことも少し書かれているかもしれないと思い、早速図書館で拝借いたしました。
若い頃、徳田虎雄氏について書かれた本を読んだことがあり、彼は本当に強い信念を持った方だという印象を持っていました。今回の本は、徳田氏ご自身というよりも、その「生命だけは平等だ」というポリシーを現場で実践されている医療従事者の方々のドキュメンタリーでした。
特に感銘を受けたのは、コロナ禍という前例のない困難な状況下で、周りの病院が患者さんの受け入れに慎重にならざるを得ない中で、徳洲会グループがどのようにして急病人を受け入れ続けるという決断を下し、それを実行していったのかという点です。まさに、「眼の前に医者を必要としている患者さんがいたら、どんな状況でも診る」という徳田氏の揺るぎない信念が、現場で生きている様が描かれていました。私自身がお世話になった病院の方々も、きっとこの大変な時期を最前線で乗り越えてこられたのだろうと思うと、頭が下がる思いです。
本を読み進める中で、巻末に近いところに書かれていた、ある女医さんの言葉が特に私の心に響きました。長時間労働について触れられたその言葉は、こうです。
「上司に労働基準法は関係ないといわれる、それがかっこいいな、と。(中略)医者という職業は聖職の一つだと私は思ったんです。24時間365日、祝日も夜間も働くことを要求されている。だから、“働き方改革”の話を聞いた時は『ああ、医者もついに普通の労働者になるんだな』と思いました。仕方のない流れかもしれません。でも本当は聖職である、社会からいつも求められている、いうプロ意識だけは若い医師にもっていてほしい。その意識があれば、『夜間や休日は働きたくない』という気持ちは出てこないはずです。」
この言葉に触れ、改めて医療に携わる方々の使命感の強さを感じました。私が宇治徳洲会病院でお世話になった際も、先生方や看護師さんたちの献身的な姿に心を打たれましたが、それはまさしくこうしたプロ意識に裏打ちされたものだったのだろうと思います。
今後、社会の仕組みや価値観がどのように変わっていこうとも、「生命だけは平等だ」という徳洲会の根幹にあるポリシーだけは、決して失われることなく、これからも多くの命を救い続けてほしいと心から願っております。そして、私が体験したような温かく、そして確かな医療が、これからも提供されていくことを願わずにはいられません。
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