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夕焼けと虹

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       暑き夏          終えゆく宇治の              田に立つる        茜と虹の          空の境よ

~ 緊急事態宣言のこと ~

 いよいよ、明後日の20日からは、ここ京都も緊急事態宣言が出されることになりました。再びか、というのが正直な思いです。  そんな中、私が日頃通っているスポーツジムからメールが届きまして。正直なところ、「また休業のお知らせかな」と思ったのですが、嬉しいことに、今の営業体制を続けるとのことでした。私個人としては、これは本当にありがたい知らせです。なぜかと申しますと、休業になりますと、まず日々の「行く場所」が一つなくなってしまいますし、何より、これまでどうにか維持してきた身体、特に筋力が目に見えて落ちてしまうのを感じるからです。  自分で言うのも何ですが、歳を重ねてきますと、身体は動かさないと本当に固くなってしまいますし、酸素を取り込む量や筋力も、放っておくとどんどん低下してしまいます。ですから、ジムが開いているというのは、健康維持のためにも大変助かるのですよ。  さて、今回の「まん延防止」から「緊急事態」への移行で、一体何が変わるのだろうか、というのが正直な私の実感です。これはあくまで私の身の回りのことだけを見ての判断ですから、勿論、このことで大変な影響を受ける方々もたくさんいらっしゃることと思います。  考えてみますと、初めて緊急事態宣言が出された時は、「これはもう仕方がないな」という諦めにも似た気持ちと、「もし感染してしまったらどうしよう」という、ある種の緊迫感が確かにありました。ですが、正直申し上げて、今の状況からは、当時のあの緊迫感のようなものは、残念ながら感じられないでおります。  まぁ、私のような者にとって、困ると言えば、やはり居酒屋さんやバーで、一日中お酒が楽しめなくなることでしょうか。例えば、妻と二人でお寿司を食べに行ったとしましても、やはり、お茶を飲みながらというのは、どうも味気なく感じてしまうのですね。正直、美味しいお寿司には、キンと冷えたビールがあった方が、断然美味しくいただけると思っております。  ですから、今回の「緊急」という言葉を聞いても、私自身の中には、どうもあの時の張り詰めたような緊張感は、今は残念ながら無いのです。

アフガニスタン情勢に思うこと

  今朝、私は少しばかり落ち着かない気持ちでおります。 昨日までは、連日のように報じられる新型コロナウイルスの感染状況や、それに伴う医療への負荷が、私にとって一番の気がかりでした。それが今朝になって、遠い国、アフガニスタンの情勢、特にタリバンによる首都カブールの制圧のニュースが、私の頭の中を占めるようになっております。 単にタリバンが政権を奪取した、という事実だけでも大きな衝撃ですが、どうにも引っかかるのは、なぜそうなったのか、その過程や背景にあるように思える事柄です。深く考えてみますと、重要なのは制圧そのものというより、その前提となった 「アメリカ軍の撤退」 、そしてその後の展開に関する多くの見通しが大きく外れたことではないでしょうか。 具体的に申しますと、まず「アメリカ軍がとうとう撤退に至った」という事実。そして、それに並行して「タリバン勢力が予想以上に力を増大させていた」こと。さらに、首都がこんなにも早く「制圧されるであろう予想時期の見込みが大きく外れた」こと。これらの点が、特に気になって仕方がありません。 そして何よりも、 「撤退したのが、世界の大国であるアメリカ軍であった」 という点に、私は特別な思いを抱かざるを得ません。私が若い頃には、アフガニスタンへのソ連軍の侵攻、そして後の撤退という出来事がありました。あの時も国際的なニュースでしたが、今回の「アメリカ軍の撤退」という響きには、当時とはまた違う、何とも言えない危うさと言いますか、この先の国際情勢に対する漠然とした不安を感じてしまうのです。 そういった状況の中、もう一つ、気に掛かることがありました。それは、現地にいる日本人の退避に関し、日本が自前の飛行機ではなく、「アメリカなど他国の協力に頼らざるを得ないらしい」という報道です。これもまた、現在の日本の立ち位置を考えさせられることでした。 そして、アメリカのバイデン大統領の言葉が、追い打ちをかけるように胸に響きました。 大統領は、アフガニスタンの首脳たちに「国のために団結して戦う」よう呼びかけ、「アフガニスタンは自分たちのために戦わなければならない」と述べたと聞きます。 この「アフガニスタン」という言葉を、もし我が「日本」に置き換えて考えてみたらどうなるか...。想像するだけで、私はゾッといたしました。私たちは、アメリカにとって、ハワイのような「...

不気味な空

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 7月の終わり、広がる空を見上げると、目に飛び込んできたのは燃えるような赤い雲。 その美しいグラデーションの中に、なぜかざわつくような模様が。吸い込まれそうな空の色に、思わず立ち尽くしてしまいました。夏の空は、時にドラマチックですね。

コロナ禍のオリンピックに思うこと

いよいよ東京オリンピックが近づいてまいりました。本来なら手放しで喜ぶところですが、今の状況下では、何とも言えない複雑な気持ちを抱いている方も多いのではないでしょうか。私も、このコロナ禍での開催には、いくつかの思いが巡っております。 まず、一つは、やはりアスリートの皆さんの姿を見られることへの期待です。この大変な状況の中で、練習もままならなかったり、行動に制限があったりする中で、精一杯努力されてきた選手の皆さんの活躍は、ぜひ応援したい気持ちでいっぱいです。彼らが積み重ねてきたものを発揮できる場があるということは、素晴らしいことだと感じています。行動が制限された中でも全力を尽くそうとする選手たちのひたむきな姿は、きっと多くの人に勇気を与えてくれることでしょう。 政府の対応 一方で、正直申しまして、もう一つの意味で「楽しみ」な部分もあります。これは決して良い意味ではなくて、むしろ「心配」と言った方が正しいかもしれません。開催中に万が一、パンデミックの状況が悪化した場合に、政府や東京都、そしてIOCがどのように対応していくのか、という点には、ある種の関心を持たざるを得ません。ウイルスが悪いのであって、選手個人に責任がないことは重々承知しております。ただ、これまでの経緯を見ていると、どうも政府や関係機関の対応には、思うところがあるのが正直な気持ちです。 ですから、正直なところ、テレビにかじりついて応援するという気分にはなれないのですが、開催されるならば、全く見ないというわけにもいかないでしょう。ラジオなどで、少し耳を傾ける程度になるかと思います。興味の中心は、やはり日本選手の活躍、そしてメダルの数あたりになるでしょうか。 少し不謹慎な言い方かもしれませんが、映画などでパニック物が好きなせいか、心のどこかで、もし開催中に大変な混乱が起きたら、一体国は、そして関係者はどう対応するのだろうか、というのを見てみたいような気持ちもあります。これまでの政権の対応を見ていると、どうにも信頼しきれない部分がありまして…。仮に、多少感染者が増えたとしても、「大成功でした」という形で幕引きを図るのだろう、ということは容易に想像がつきます。国民も、案外それを受け入れてしまうのかもしれません。しかし、もし本当に映画のような混乱が生じたら、国は、海外から来た方々の安全を優先するのか、それとも国民の救済...