アフガニスタン情勢に思うこと
今朝、私は少しばかり落ち着かない気持ちでおります。
昨日までは、連日のように報じられる新型コロナウイルスの感染状況や、それに伴う医療への負荷が、私にとって一番の気がかりでした。それが今朝になって、遠い国、アフガニスタンの情勢、特にタリバンによる首都カブールの制圧のニュースが、私の頭の中を占めるようになっております。
単にタリバンが政権を奪取した、という事実だけでも大きな衝撃ですが、どうにも引っかかるのは、なぜそうなったのか、その過程や背景にあるように思える事柄です。深く考えてみますと、重要なのは制圧そのものというより、その前提となった「アメリカ軍の撤退」、そしてその後の展開に関する多くの見通しが大きく外れたことではないでしょうか。
具体的に申しますと、まず「アメリカ軍がとうとう撤退に至った」という事実。そして、それに並行して「タリバン勢力が予想以上に力を増大させていた」こと。さらに、首都がこんなにも早く「制圧されるであろう予想時期の見込みが大きく外れた」こと。これらの点が、特に気になって仕方がありません。
そして何よりも、「撤退したのが、世界の大国であるアメリカ軍であった」という点に、私は特別な思いを抱かざるを得ません。私が若い頃には、アフガニスタンへのソ連軍の侵攻、そして後の撤退という出来事がありました。あの時も国際的なニュースでしたが、今回の「アメリカ軍の撤退」という響きには、当時とはまた違う、何とも言えない危うさと言いますか、この先の国際情勢に対する漠然とした不安を感じてしまうのです。
そういった状況の中、もう一つ、気に掛かることがありました。それは、現地にいる日本人の退避に関し、日本が自前の飛行機ではなく、「アメリカなど他国の協力に頼らざるを得ないらしい」という報道です。これもまた、現在の日本の立ち位置を考えさせられることでした。
そして、アメリカのバイデン大統領の言葉が、追い打ちをかけるように胸に響きました。大統領は、アフガニスタンの首脳たちに「国のために団結して戦う」よう呼びかけ、「アフガニスタンは自分たちのために戦わなければならない」と述べたと聞きます。
この「アフガニスタン」という言葉を、もし我が「日本」に置き換えて考えてみたらどうなるか...。想像するだけで、私はゾッといたしました。私たちは、アメリカにとって、ハワイのような「州」ではありません。いわば「属国的な同盟国」という立場ですが、今回のような事態を見ますと、いざという時、本当に日本が守られるのだろうか、もしかしたら「捨て石」のように見なされてしまうのではないか、といった不安が頭をよぎるのです。
もちろん、これはあくまで私の杞憂であって欲しいと、心から願うばかりです。しかし、今日のアフガニスタンの状況は、私たち日本にとって、決して他人事として片付けられない、何か大切なことを突きつけているような気がしてなりません。どうか、これ以上の混乱がなく、事態が良い方向に向かってくれることを祈るばかりです。
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