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計算尺は滅び、算盤は生き残った。なぜ?

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~設計士時代の思い出と共に振り返る~  先日、押し入れを整理していたとき、ふと、40年ほど前に使っていた計算尺が目に留まりました。設計士として駆け出しの頃、計算尺は私の相棒でした。複雑な計算も、これ一本で何とかこなしていたものです。やがてNC機械が導入されるようになり、関数電卓を使い始めた頃から、計算尺は徐々に使わなくなっていきました。そして、電卓やコンピュータの普及とともに、完全に姿を消してしまいました。

ネットの片隅で感じる、時の流れとしばしの別れ

 長いことインターネットの世界に身を置いておりますと、様々な方とのご縁に恵まれます。特に、私がまだ若かったパソコン通信の時代からのお付き合いとなると、もう四半世紀以上にもなりますでしょうか。  あの頃は、PC-VANやニフティサーブといった場所で、同じ趣味を持つ仲間と文字を通じて語り合ったものです。私の場合は、特にランニングのフォーラムで多くの刺激をいただきました。掲示板に集まっては、日々のトレーニングのこと、レースのこと、時にはくだらない冗談を言い合ったりして、それが日々の大きな楽しみでした。パソコン通信が終わり、インターネットの時代になっても、私たちはBiglobeやniftyといったプロバイダーのサービス内で交流を続け、あるいはそれぞれが個人でホームページやブログを立ち上げ、トラックバック機能などを使ってお互いのサイトを行き来するような、濃密な繋がりもありました。  しかし、時の流れというのは正直なものです。最近、かつてのネット知人の方々のサイトを覗いてみると、ずいぶんと更新が止まってしまったり、残念ながら閉鎖されてしまったサイトが増えたように感じます。私が長年親しんできた、ニフティサーブのランニングフォーラムの流れを汲むfrunというサイトも、以前のような活気はなく、投稿数もめっきり減ってしまいました。私自身も、50歳を過ぎたあたりから膝や腰の痛みに悩まされるようになり、以前のように長距離を走ることが難しくなり、自然と足が遠のいてしまったということもあります。  なぜ、これほどまでにネット上での繋がりが静かになってしまったのでしょうか。もちろん、時代の変化や、スパムの横行といった技術的な問題もあるでしょう。かつてのように、サイト同士を気軽に繋いで交流するような文化は、残念ながら衰退してしまったように思います。  しかし、それ以上に大きな理由があるとすれば、私たち自身が年齢を重ねたことではないかと感じています。あれからもう20年以上が経ちました。それぞれの実社会での生活に重きが移ったり、若い頃のようにインターネットに情熱を傾けることが少なくなったりと、様々な変化があったことでしょう。  そして、何よりも避けられない現実として、お互いに「死」が少しずつ近づいているということがあります。どれほど素晴らしいサイトやブログを運営していても、個人の「寿命」には勝てません...

災害と、私たち人間以外のいのちのこと

 近頃、本当に災害が多いと感じます。大雨が降れば川が氾濫し、地震が起きれば山が崩れる。毎年のように日本のどこかで大きな被害が出ており、自然の猛威を痛感する日々です。  しかし、少し視点を変えてみると、こうした自然が引き起こす出来事も、地球という大きな星が行っている、いわば「自然の土木作業」なのかもしれないと思うことがあります。気の遠くなるような時間をかけて、山を削り、土地を運び、海の形を変えていく。それは地球にとって、ごく自然な営みなのでしょう。  一方で、私たち人間も、生きていくために様々な土木作業を行ってきました。住む場所を確保するために山を切り崩して土地をならしたり、海や湖を埋め立てたり。洪水が起きることを恐れながらも、川の流れを変えたり堤防を築いたりもしてきました。  考えてみれば、こうした人間の都合で行われる土木作業は、そこに元々暮らしていた他の生き物たちにとっては、どう映るのでしょうか。彼らの家や、餌を得る場所、つまりは彼らの「生息域」を、私たち人間が一方的に壊していることにならないでしょうか。このことを、私たちは忘れがちです。  「人間のためになることは正義だ」と、無意識のうちにそう思ってしまってはいないでしょうか。  ほんの一例ですが、私たちが家を建てるために土地をならす時、土の中にはたくさんの蟻さんが暮らしています。彼らの住まいを壊して、その上に人間の家を建てる。そして、家の中に蟻さんが入ってくると、「困る」と言って殺虫剤をまいたりもします。  山や森に暮らす熊さんが、人里に姿を現せば、「害獣だ」として駆除の対象となることもあります。私たち人間は、地球上に暮らす生物の頂点に立っているかのように振る舞い、他の弱い立場にある生命を脅かしたり、彼らの大切な住環境を遠慮なく壊してしまっているのが現実です。  自然災害で山が崩れた、水害で家が流されたと、私たちは「災害は悪いものだ」と考えがちです。確かに、人間の生活にとっては大変な苦難です。しかし、私たちがこれまで行ってきた土木作業や開発行為も、別の視点から見れば、他の生物にとっては私たち人間による「人為的な災害」であったとも考えられるのではないでしょうか。  人類が繁栄していくためには、ある程度の開発は避けられないのかもしれません。しかし、これまでの私たちは、少し行き過ぎてしまったのではないか、そんな風に感...