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読書、人生の各段階で変化

自分にとって「読書」は何だったのだろうか    今日は少し、自分にとっての「読書」について考えてみたいと思います。若い頃からずっと本は身近な存在でしたが、改めて考えると、その時々で本に求めていたものが随分と変わってきたように感じています。  振り返れば、若い頃の読書は、まるで遠い世界への「疑似トリップ」だったように思います。テレビのドラマに夢中になった時期もありましたし、映画館に足繁く通った頃もありましたが、本も、ドラマも、映画も、皆、頭の中に一つの仮想空間を作り出し、その世界に身を置いて楽しむためのものだった気がします。SFの世界に胸を躍らせたり、スパイ小説のめくるめく展開にハラハラしたり。あの頃は、ただただ物語の世界に没入することが楽しかったですね。  それが、ある時期からでしょうか、段々と読書の質が変わってきたのを感じます。空想の世界だけでは物足りなくなるというか、現実社会をしっかりと見据えなければならない年齢になってきたということも大きいかもしれません。娯楽としての読書から、教養や啓蒙、あるいは思想に関する書籍へと関心が移っていきました。知識を得ること、物事の考え方を深めることに重きを置くようになったのです。  さて、70歳を過ぎた今、自分は読書に何を求めているのだろうかと、時々自問しています。最近は、仕事や趣味で関心のある理工系の分野について、知識を深めるために図書館へ行くことが多いですね。図書館の本は、やはり情報の信頼性が高いという安心感がありますから。  もちろん、全く小説を読まなくなったわけではありません。たまに、ふと物語の世界に浸りたくなる時があります。平凡な日常を丁寧に描いた心温まる話や、逆に猟奇的な事件の謎を追うような警察・探偵ものなど、様々なジャンルを手に取ります。ただ、小説は登場人物や伏線を追っていく必要があるので、読むならまとめて時間を確保したいところです。少し間が空くと、すぐに内容を忘れてしまうものですから(笑)。  こうして振り返ってみると、自分にとって読書は、人生の様々な段階で形を変えながら、常に傍にあったものだと感じます。若い頃は冒険や空想の世界を見せてくれる窓であり、その後は現実を理解し、自分の考えを深めるための道具となりました。そして今、新たな知的好奇心を満たすための大切な時間となっています。  これからも、読書を通し...

書籍「徳洲会 コロナと闘った800日」を読んで感じたこと

 先日、「徳洲会 コロナと闘った800日」という本を読む機会がありました。この本を手にするきっかけとなったのは、私自身の経験と、そこから感じたご縁のようなものからでした。  今から思えば、新型コロナウイルスが日本で大きく騒がれるようになる、ちょうど一年ほど前のことでした。私は京都にある宇治徳洲会病院に、誤嚥性肺炎とアレルギー性の肺炎で約20日間ほど入院しておりました。退院後も8ヶ月ほど外来で通わせていただき、その間、先生方をはじめ、病棟の看護師さんたちには大変手厚くお世話になりました。幸いなことに、私が完治して通院を終える頃に、中国で始まった騒動が日本にも波及してきたのです。あのまま長引いていたら、医療現場が逼迫する状況に巻き込まれていたかもしれません。無事に退院し、完治できたのは本当に運が良かったと思っており、改めて宇治徳洲会病院の皆様には心より感謝しております。私が入院していた病棟が呼吸器内科のメインの階でしたので、余計に当時の皆様のご苦労を想像しておりました。  そのような経緯もあり、書店でこの本の背表紙に「徳洲会」という文字を見つけた時、ふと手に取ってみたくなったのです。宇治徳洲会病院のことも少し書かれているかもしれないと思い、早速図書館で拝借いたしました。  若い頃、徳田虎雄氏について書かれた本を読んだことがあり、彼は本当に強い信念を持った方だという印象を持っていました。今回の本は、徳田氏ご自身というよりも、その「生命だけは平等だ」というポリシーを現場で実践されている医療従事者の方々のドキュメンタリーでした。  特に感銘を受けたのは、コロナ禍という前例のない困難な状況下で、周りの病院が患者さんの受け入れに慎重にならざるを得ない中で、徳洲会グループがどのようにして急病人を受け入れ続けるという決断を下し、それを実行していったのかという点です。まさに、「眼の前に医者を必要としている患者さんがいたら、どんな状況でも診る」という徳田氏の揺るぎない信念が、現場で生きている様が描かれていました。私自身がお世話になった病院の方々も、きっとこの大変な時期を最前線で乗り越えてこられたのだろうと思うと、頭が下がる思いです。  本を読み進める中で、巻末に近いところに書かれていた、ある女医さんの言葉が特に私の心に響きました。長時間労働について触れられたその言葉は、こうです。  「 ...

絶滅が規則であって、生存は例外である。

猛暑と温暖化 ~人体600万年史を再読して思うこと~  連日、厳しい暑さが続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。暑いのは嫌いではないのですが、こうも続きますと、さすがに身体に応えますね。  特に気になるのが、大量の汗です。汗が肌の上で乾き、また出て、の繰り返しで、つい匂いも気になってしまいます。考えてみれば、私たち人間(ホモ・サピエンス)の祖先が、全身に汗腺を持つようになったのは、何万年もの長い時間をかけてのことだと、先日、ある書籍を再読して改めて感じました。長時間、獲物を追って走り続けるために、体温を効率よく下げる機能として獲得されたようです。もちろん、それだけが一つの理由というわけではなく、一言では語れない奥深さがあるようですが、とにかく、厳しい環境を生き抜くために得た大切な機能なのですね。  私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスは、およそ600万年という気の遠くなるような長い歴史の中で、様々な気候の変動や住環境の変化に耐えて生き残ってきました。その過程で、ネアンデルタール人やホモ・エレクトスなど、私たち以外の様々な人類種が姿を消しています。環境の変化に適応できなかったのか、あるいは生存競争に敗れたのか、理由は様々でしょうが、とにかく、現生人類として生き残ったのは私たちホモ・サピエンスだけなのです。  地球の歴史を振り返れば、全てが氷に覆われた「全球凍結」の時代や、灼熱の時代もありました。生命が誕生してからも、大規模な氷河期を経験するなど、地球の環境は常に変動してきました。そして、その変動に適応し、進化してきたのが私たち生命です。  しかし、今、私たちが直面している「温暖化」という変化は、過去の地球のサイクルとは異なる、人間活動が引き起こしている側面が強いと言われています。これほど急激な変化に、私たちの身体、人体はどのように適応していくのだろうか、と興味深くも少し不安な気持ちで見ております。  今年の猛暑を見ても、熱中症で命を落とす方々がいらっしゃる。これは、個々人の対応力の限界なのか、あるいは、人類全体として、この環境変化に適応できなくなってきている 兆し なのではないか。長い年月をかけて生存を続けてきた人類にとって、今、この温暖化は、まさに生存継続への大きな試練として訪れているのかもしれません。もしこの変化に適応できないとすれば、残念ながら、多...

残酷な食物連鎖の生物界

蜘蛛が食べた跡に想うこと  庭先や部屋の片隅で、ふと自然の営みの一端を目にすることがあります。先日も、掃除をしている最中に、そんな光景に出くわしました。  床の隅に、小さな羽根が落ちていました。よく見ると、それは何かの虫の羽根のようです。蛾なのか、それとも蝶だったのか、胴体は見当たりません。ただ、薄い羽根だけが、そこにひっそりと残されていました。  不思議に思い、羽根が落ちていた辺りの壁を見上げると、そこには小さな蜘蛛の巣が張られています。どうやら、この羽根の持ち主は、この蜘蛛の餌食になったのでしょう。そして、蜘蛛は体の柔らかい部分だけを食べて、消化できない羽根だけをポイと捨てたらしいと、状況から察しがつきました。  このような光景を目にするたび、私は昔から変わらぬ一つの思いを巡らせます。もしこの世界の全てを創造した「神」という存在がいるとしたら、何と残酷で、そして容赦のない生き物の世界を創られたのだろう、と。 食物連鎖は残酷連鎖   生きとし生けるものは皆、自分が生きていくために、他の生き物の命を奪い、その体を糧としなければなりません。 草食動物も植物という命をいただき、肉食動物は他の動物の命を奪う。そして、その死骸にはまた別の生物が集まる。この連鎖は、私たちがこの地上で生命を維持していく上で、どうしても避けては通れない厳然たる事実です。自分の命をつなぐためには、他者の命を犠牲にしなければならない。これは、考えてみれば非常に苛烈で、悲しい定めではないでしょうか。  このような世界を作り出したのは、人間が考えるような慈悲深い「神」ではなく、もしかしたら、生きとし生けるものに常に争いと飢えをもたらす「悪魔」の仕業だったのではないかと、さえ思ってしまうことがあります。  私たち人間も、お腹が空くと無性に肉料理が食べたくなることがあります。これは、もしかすると、私たちの体のどこかに、他の生物を食らうことを宿命づけられた、ある意味で「サターン(悪魔)」のような存在から組み込まれた遺伝子のようなものが隠されているからなのかもしれない。  小さな虫の羽根一つから、そんな壮大な、そして少し恐ろしいような考えに思い至ることも、この年になって増えたように思います。自然の美しさの裏側にある、この抗いがたい生命の厳しさを、改めて感じさせられた出来事でした。  

Evernote 以前_Zaurus

 さて、今回も少し昔を振り返り、Evernoteが登場するよりもずっと前の時代に使っていた機器についてお話ししたいと思います。 ポケコンから電子手帳へ  今のようにスマートフォンはおろか、電子手帳さえまだ一般的でなかった頃、私はポケコンという小さなコンピューターを使っておりました。自分なりに簡単なメモ帳のプログラムを組んで、電話帳代わりにしたリ、ちょっとしたメモをアルファベットで入力して保存できるようにしていたのです。特に、人には聞かれたくないけれど覚えておきたい、例えば馴染みのスナックや飲み屋さんの電話番号などを記録するのに重宝したことを覚えています。紙の手帳には書きにくい、そんな情報たちの控え場所だったのです。 そんな風にポケコンで間に合わせているうちに、当時としては本当に「わくわくするような」画期的な製品が現れましてね。私のメモ生活は、そちらへと移っていくことになったのです。 懐かしのザウルス  それが、若い頃に夢中になって使っていた携帯型情報機器、シャープの「ザウルス」でした。初めてパソコン通信というものを体験したのも、実はこのザウルスだったのです。単なるメモ帳というよりは、手帳の要素を全て詰め込んだような、まさにデジタルな相棒といった存在でした。  中でも私が特に気に入っていた機能は、「インク・ワープロ」と呼ばれていたものです。これは、画面にペンで書いた手書きの文字や絵を、そのまま行単位で画像として記録してくれる機能でした。今でいう手書きメモ機能に近いのですが、当時はその場で書いた筆跡がそのまま残せるというのが新鮮で、大変重宝したものです。まさに優れものだったのですが、いかんせん、初期の頃の電子機器ですから、記憶容量はそれほど多くなかったですね。新しい機種が出るたびに買い替えていたのですが、「大容量」と謳われていても、今のギガバイトどころかメガバイト単位の容量と比べると、比較にならないほど小さかったことを覚えています。それでも、当時の電子手帳としての機能は十分に満たしてくれていました。 パソコン連携の試み PowerPIMM  ザウルスの容量が厳しくなり、外部メモリーに保存することも試みましたが、やはりザウルスで管理している情報をパソコンでも活用したいという思いが強くなりました。そこで、シャープが出していた「PowerPIMM」というパソコンソフトを購入し...