投稿

2019の投稿を表示しています

ああ、熱いぜ!サウナ室の愉快な住人

サウナって、そもそも熱い場所ですよね。ぬるいサウナなんて、聞いたことがありません。ええ、私の通うスポーツジムのプールサイドにも、赤外線サウナがありまして、いつも大体60度くらいなんですけど、これがまた、じわじわとくる暑さなんです。 で、ですね。そこに、ほぼ毎回いらっしゃる常連のおじ様がいらっしゃるんです。その方がサウナ室に入ってくるや否や、まるで呪文のように「暑い、暑い」と繰り返されるんですよ。周りの皆さんは、その暑さを覚悟の上で、じっと静かに汗を流しているのですが、そのおじ様だけは、「暑い!」を連呼して、嵐のように去っていくんです。どうも、滝のような汗をかくのが目的というよりは、暑さを訴えに来ているかのようです(笑)。 私たち他の人間は、たぶん、あの熱さをちょっぴり我慢しながら、じんわりと汗をかいて、体の中から不要なものを出すのを楽しんでいるんだと思うんです。 ちなみに、私のサウナの楽しみ方はというと……まず、マシンジムでしっかりと筋トレをして、それからトレッドミルで心地よい疲労感を味わいます。その後にサウナにじっくりと入り、火照った体をプールでクールダウン。これで、心も体もすっきりとしてジムを後にするのが、いつものルーティンなんです。 あの「暑い、暑い」おじ様も、もしかしたら、独特のサウナ道をお持ちなのかもしれませんね。ただ、もう少し静かにしていただけると、私たちもよりリラックスできるのですが……まあ、これもサウナの風物詩、ということで(笑)。

かかりつけ医選びの大切さ:私の体験談

  皆様、こんにちは。60代の男性です。今日は、私が最近体験した、 かかりつけ医選び についてお話ししたいと思います。 長年、近所の医院を「いつものお医者さん」として、特に深く考えることもなく通っていました。必要な時に薬を処方してくれる、いわゆる「藪医者」ではない、親切な先生でした。多少血圧が高いものの、おおむね健康だった私は、月に一度の診察を続けていたのです。 しかし、今思えば、その医院は設備が十分とは言えませんでした。血液検査も外部に委託していたため、結果が出るまでに時間がかかります。ある時、高熱が出たのですが、検査結果が出るまでは風邪と診断され、適切な処置が遅れてしまったのです。 「これはいつもの風邪とは違う」と感じ、翌日の夕方、比較的最近できた近くの医院を受診しました。すると、すぐにレントゲンと血液検査をしてくださり、「肺炎」との診断。即座に、近くの大きな病院への紹介状を書いてくださったのです。その夜、私は即入院することになり、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当に一命を取り留めました。 今では、その紹介状を書いてくださった先生が、私のかかりつけ医です。迅速な検査と正確な診断のおかげで、早期に治療を受けることができました。 この経験から、私は痛感しました。「手頃な所で済ませる」のではなく、本当に信頼できるかかりつけ医を持つことの重要性を。そして、現代的な医療においては、医師の勘も大切ですが、客観的な検査数値に基づいた診断が、いかに重要であるかを身をもって知りました。 もし、今のかかりつけ医に少しでも不安を感じている方がいらっしゃいましたら、この話が少しでも参考になれば幸いです。

ビールは控えめにしなくては!!

 昨晩は、近所の備長炭扇屋とチッピインというお店で、生ビールを六杯ほど飲んでしまいました。 今朝、血圧を測ってみると、上が150を超える数値で、少し心配になりました。 明後日は、いつものお医者さんの診察日です。今回は、先生に注意されないように、今日からしばらくの間は、お酒を控えることにします。 日頃から健康には気を配っているつもりなのですが、美味しいお酒を前にすると、どうしても自制心が緩んでしまいます。次の診察のことを考えると、少しは我慢しなければなりませんね。

最後のお別れは自分

人生の終わりに思うこと - 最後のお別れは自分 あるラジオ番組を聴いていて、「なるほど」と、ふと悟らされた思いがしました。 六十年以上生きていれば、数えきれないほどの葬儀に参列し、故人との「お別れ」の儀式を経験してきたものです。両親をはじめ、友人、知人、そして近所の方々との別れを幾度となく見送ってきました。 しかし、これまで気づくことはありませんでしたが、人生で一番最後に見送るのは、他でもない「自分自身」なのだと、ようやく理解に至ったのです。いつか、死というものが自分の身にも訪れるとは考えていましたが、自分で「自分」にお別れを告げるという感覚は、全くありませんでした。 しかし、よく考えてみれば、「お別れ」の中で最も大切なのは、やはり自分自身なのでしょう。人生の終わりに臨んで、多くの思いが去来することでしょうし、その時を迎えるまでに、多くのことを深く考える必要があるのだと思います。なぜなら、一度目を閉じてしまえば、「思う」ことや、感傷に浸ることは、もうできなくなってしまうからです。(これは、私自身の率直な思いです) さて、つい最近のことですが、3月末から4月初めの21日間、突然の肺炎で入院を余儀なくされ、そのうち10日間は、絶食による点滴治療を受けることになりました。自分が、入院するほどの病を抱えてしまったことに、大きな戸惑いを覚えたものです。幸い、現在は完全に回復していますが、入院当初は、医師から後で聞いた話によると、検査の数値的にはかなり危険な状態だったようです。それでも、苦しみながらも徐々に改善に向かい、今日を迎えることができました。 今にして思えば、あの時もし入院せずに無理をしていたら、敗血症などを引き起こし、意識のないまま、自分自身に「さようなら」を言うこともできずに、人生の幕を閉じていたかもしれません。 私は、人生の終わりの床で、息を引き取るその瞬間、一体どのような思いで、自分自身にお別れを告げるのでしょうか。