古希を過ぎてなお、走りたかった日々

振り返れば、若い頃から走ることが好きで好きでたまらなかったのです。「ジョギング」という言葉がまだ世に浸透していない頃から、私はただひたすら、路を駆けておりました。当時、路上を走る姿はまだ珍しかったようで、時折、奇異の目で見られたものですが、そんなことは気にも留めず、走ることが私の日常そのものでした。

いつまでも、こうして走り続けられるだろうと、何の疑いもなく思っていました。歳を重ねても、きっとジョギングくらいはできるだろうと、甘く考えていたのです。

しかし、寄る年波には勝てません。腰痛や肩の痛みも経験しましたが、幸いなことに、リタイアしてからはずいぶんと楽になりました。ところが、膝の痛みだけは頑固に居座り続けているのです。関節内にヒアルロン酸の注射を定期的に受けていますが、どうしても痛みがぶり返してしまいます。

今は、ゆっくりとした散歩をするのがやっとです。それさえも、突然、痛みがひどくなる時があるため、遠出はためらってしまいます。結局、足を踏み出すこともままならない日は、スポーツジムのトレッドミルの上で、歩く真似事をすることになるのです。

かつては、風を切って走ることに喜びを感じていた私が、今はただ、痛みなく自由に歩けることを願うばかりです。そして、心の奥底では、諦めきれない夢がまだ 潜んでいます。いつの日か、この痛みを克服し、せめて一時間、できれば二時間、再び大地を蹴って走りたい。それが、今の私のささやかな、しかし切実な目標なのです。

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