自転車と、体の声と、年齢
自転車との付き合いは、もうずいぶんと長くなります。思えば、学生として若かった頃と、そして古希を迎えようとしている今とでは、同じ自転車に乗っていても、体の感じ方、そして筋肉の声の聞き方が、随分と変わったように思います。
高校生から学生にかけてのあの頃は、とにかく体を動かすのが当たり前で、自転車に乗る時も無意識にペダルを力強く踏み込んでいました。坂道でも平地でも、太ももの筋肉がパンパンに張って、「もう無理だ!」と悲鳴をあげるような感覚が、どこか心地よかった。追い込んでいる自分に、一種の快感すら覚えていたのかもしれません。逆に、力を抜いてだらだらとゆっくり足を回していると、まるでサボっているようで、妙な罪悪感すら感じたものです。体をいじめ抜くことに、若さゆえの価値を見出していたのでしょう。これは、ランニングで息が切れ、足が重くなる感覚に喜びを見出していたのとも、どこか似ていました。
それがどうでしょう、70歳を目前にした今、自転車のペダルを漕ぐ時に、あの頃のような「さあ、やるぞ!」と力を込めようという気持ちが、全く起きないのです。筋肉が躍動する力強い感覚に、喜びを感じることもなくなりました。今は、少しでも無理をさせようとすると、かつて快感にも似ていた筋肉の「悲鳴」が、ただの辛く苦しい感覚として全身に響いてくるのです。若い頃は当たり前のようにできていた、信号待ちからの立ち漕ぎなども、今では体が思うように動かず、難しくなってしまいました。
若い頃は体を追い込むことに張り合いを感じ、筋肉の疲れさえ心地よかったのに、今はただ体を労わることしか考えられません。あの頃の漲るような活力は遠い昔の思い出となり、体力の衰えをしみじみと実感しています。自転車に乗る時間も、スピードや距離を競うのではなく、ただ景色を眺めながら、心地よいペースで走ることを楽しむ時間へと変わりました。体は正直ですね。自分の年齢と体をきちんと受け止めて、無理なく日々を過ごすことが何より大切だと感じています。
コメント
コメントを投稿