投稿

7月, 2023の投稿を表示しています

残酷な食物連鎖の生物界

蜘蛛が食べた跡に想うこと  庭先や部屋の片隅で、ふと自然の営みの一端を目にすることがあります。先日も、掃除をしている最中に、そんな光景に出くわしました。  床の隅に、小さな羽根が落ちていました。よく見ると、それは何かの虫の羽根のようです。蛾なのか、それとも蝶だったのか、胴体は見当たりません。ただ、薄い羽根だけが、そこにひっそりと残されていました。  不思議に思い、羽根が落ちていた辺りの壁を見上げると、そこには小さな蜘蛛の巣が張られています。どうやら、この羽根の持ち主は、この蜘蛛の餌食になったのでしょう。そして、蜘蛛は体の柔らかい部分だけを食べて、消化できない羽根だけをポイと捨てたらしいと、状況から察しがつきました。  このような光景を目にするたび、私は昔から変わらぬ一つの思いを巡らせます。もしこの世界の全てを創造した「神」という存在がいるとしたら、何と残酷で、そして容赦のない生き物の世界を創られたのだろう、と。 食物連鎖は残酷連鎖   生きとし生けるものは皆、自分が生きていくために、他の生き物の命を奪い、その体を糧としなければなりません。 草食動物も植物という命をいただき、肉食動物は他の動物の命を奪う。そして、その死骸にはまた別の生物が集まる。この連鎖は、私たちがこの地上で生命を維持していく上で、どうしても避けては通れない厳然たる事実です。自分の命をつなぐためには、他者の命を犠牲にしなければならない。これは、考えてみれば非常に苛烈で、悲しい定めではないでしょうか。  このような世界を作り出したのは、人間が考えるような慈悲深い「神」ではなく、もしかしたら、生きとし生けるものに常に争いと飢えをもたらす「悪魔」の仕業だったのではないかと、さえ思ってしまうことがあります。  私たち人間も、お腹が空くと無性に肉料理が食べたくなることがあります。これは、もしかすると、私たちの体のどこかに、他の生物を食らうことを宿命づけられた、ある意味で「サターン(悪魔)」のような存在から組み込まれた遺伝子のようなものが隠されているからなのかもしれない。  小さな虫の羽根一つから、そんな壮大な、そして少し恐ろしいような考えに思い至ることも、この年になって増えたように思います。自然の美しさの裏側にある、この抗いがたい生命の厳しさを、改めて感じさせられた出来事でした。  

Evernote 以前_Zaurus

 さて、今回も少し昔を振り返り、Evernoteが登場するよりもずっと前の時代に使っていた機器についてお話ししたいと思います。 ポケコンから電子手帳へ  今のようにスマートフォンはおろか、電子手帳さえまだ一般的でなかった頃、私はポケコンという小さなコンピューターを使っておりました。自分なりに簡単なメモ帳のプログラムを組んで、電話帳代わりにしたリ、ちょっとしたメモをアルファベットで入力して保存できるようにしていたのです。特に、人には聞かれたくないけれど覚えておきたい、例えば馴染みのスナックや飲み屋さんの電話番号などを記録するのに重宝したことを覚えています。紙の手帳には書きにくい、そんな情報たちの控え場所だったのです。 そんな風にポケコンで間に合わせているうちに、当時としては本当に「わくわくするような」画期的な製品が現れましてね。私のメモ生活は、そちらへと移っていくことになったのです。 懐かしのザウルス  それが、若い頃に夢中になって使っていた携帯型情報機器、シャープの「ザウルス」でした。初めてパソコン通信というものを体験したのも、実はこのザウルスだったのです。単なるメモ帳というよりは、手帳の要素を全て詰め込んだような、まさにデジタルな相棒といった存在でした。  中でも私が特に気に入っていた機能は、「インク・ワープロ」と呼ばれていたものです。これは、画面にペンで書いた手書きの文字や絵を、そのまま行単位で画像として記録してくれる機能でした。今でいう手書きメモ機能に近いのですが、当時はその場で書いた筆跡がそのまま残せるというのが新鮮で、大変重宝したものです。まさに優れものだったのですが、いかんせん、初期の頃の電子機器ですから、記憶容量はそれほど多くなかったですね。新しい機種が出るたびに買い替えていたのですが、「大容量」と謳われていても、今のギガバイトどころかメガバイト単位の容量と比べると、比較にならないほど小さかったことを覚えています。それでも、当時の電子手帳としての機能は十分に満たしてくれていました。 パソコン連携の試み PowerPIMM  ザウルスの容量が厳しくなり、外部メモリーに保存することも試みましたが、やはりザウルスで管理している情報をパソコンでも活用したいという思いが強くなりました。そこで、シャープが出していた「PowerPIMM」というパソコンソフトを購入し...

Evernote以前の記憶:thinkbookと紙copi

  最近、長年愛用したEvernoteからGoogle系のアプリへ移行したのですが、ふと、そのEvernoteを使う前は何を使っていたっけ?と思い返す機会がありました。 今回は、Evernote以前に私がどんなツールで情報を保存したり、メモを取っていたのか、その記憶を辿ってみたいと思います。 ネット時代の夜明けと「thinkbook」   Windows 95を使っていた頃だったでしょうか。インターネットで情報を見るのが楽しくなり、「あ、このページ残しておきたいな」と思ったときに活躍したのが、「thinkbook」というアプリでした。   ネットサーフィン中に気になったページを簡単に保存でき、そこにメモを書き加えることもできる優れものでした。今でいうWebクリッパーのような機能でしょうか。  しかし、使い込めば使い込むほど、操作性の悪さや重さが気になるようになり、残念ながら作者の方もアップデートへの意欲を失ってしまったのか、やがて別のツールを探すことになります。我慢しながら使っていたのですが、より良いものを求めての自然な流れでした。 日記とメモの融合「紙copi」との出会い  そんな時に巡り合ったのが、「紙copi」というソフトです。確か、高校生が作ったと評判になったシェアウェアだったと記憶しています。  当時のメインブラウザだったInternet Explorerで開いたページなら、手軽に保存できました。これはthinkbookと同様の便利な機能でした。  そして何より秀逸だったのが、「日記機能」と「メモ」の融合です。仮想日付という概念もあり、日々の出来事や思いついたことを、日付を付けて残すことができたのです。これはまさに、私にとってのデジタルスクラップブック兼日記帳となりました。  この紙copiには、その頃の日々の記録や、残しておきたい様々なメモが大量に保存されていきました。携帯端末のZaurusで取ったメモも、パソコンでは紙copiで管理する、というような使い分けをしていた時期もありました。それくらい、当時の私の情報管理の中心となっていたツールです。 時代の波とEvernoteへの移行  しかし、時代は容赦なく変わります。インターネットブラウザはInternet ExplorerからGoogle Chromeへ、携帯電話はスマートフォンへと主流が移っていきま...

Evernoteの会社は無くなり、イタリアの会社への移譲

このニュースには驚いた。 素晴らしかったEvernote Evernoteには本当にお世話になりました       全てを記憶する        第二の外部脳 こういうコンセプトに惹かれ、文章から、画像、音声、ネットの情報などほぼ全てのことを保存しまくった。 改良と、新機能追加で次々と便利になっていくアプリケーションである。 だから、十年以上もお世話になり、老年期になって記憶力の低下が顕著になっても、検索の仕方さえ覚えておけば、後はなんとでもなるという安心を感じていた。 数年前まではである。 改良への過渡期と思いたい  ただ、使い勝手の悪さと必要な時に閲覧できない、記録できないという致命的な事が長期間続いたせいで、使い続けるという気が失せてしまったのだ。パソコンの創世記から使っている身としては、フリーウェア、シェアウェアなどは不具合の連続で開発者とユーザが共にそのソフトをよりよい物にしょうと不具合を報告して、開発者はバグを潰していくパターンであった。  初期のEvernoteなら納得して使い、より良い製品にして頂くまで待つかもしれないが、成熟したアプリ故、使いにくい道具は我慢してつかうものでないし、満足できなくても機能的に劣っていても、自分にとって十分使えるものならそちら(google keep)を使うべきだと判断した。 いつかはまた、Evernoteを使ってみようと思う時がくるかもしれない。 イタリアの会社に移ってもコンセプトさえよければ、きっと良いソフトに再生できると思う。 ありがとうエバーノートよ 会社は変わりましたが、Evernoteがかつての輝きを取り戻し、再び多くのユーザーに愛されるサービスとして再起することを心から願っています。

驚くべき人間の力:暑さに立ち向かう私たち

 いよいよ暑い季節がやってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。  近頃、「人体600万年史」という興味深い本を読み進めておりますが、この暑い時期にぴったりの記述に出会い、改めて人間の持つ力に感心させられました。  我が家の猫たちや、かつて一緒に暮らした愛犬を思い返しても、動物たちはやはり夏の暑さが苦手な様子です。日差しが最も強い日中に、近所の猫たちがのんびり散歩している姿はあまり見かけませんね。餌をねだりに来るのも、涼しい早朝や夕暮れ時、あるいは夜が多いように感じます。  もちろん、近年の「酷暑」と呼ばれるような厳しい暑さの中では、私たち人間も外出を控えることが賢明です。しかし、それでもなお、炎天下で活動する人々の姿を目にすると、人間という存在の持つ「暑さへの耐性」には驚かされるものがあります。  件の本によれば、私たち二本足で歩く人間は、四本足の動物たちと比べて、太陽の光を直接浴びる体の面積が格段に少ないのだそうです。考えてみれば、毛皮に覆われた背中全体に強い日差しを受け続ければ、体温の上昇は相当なものでしょう。この単純な事実に、私はこれまで気づきませんでした。実に新鮮な視点です。  この 「暑さに強い」という特性 は、私たち人類が、その揺籃の地である赤道直下のアフリカで進化してきた過程で獲得した、いわば「生き抜くための特別な力」なのだそうです。他の多くの動物が暑さで動けなくなる日中に活動できるということは、危険な肉食動物から身を守り、食料を探す上で、計り知れないほど有利だったに違いありません。体温を上げずに長距離を移動できる能力も、過酷な環境に適応するための、人類の偉大な進化の証と言えるでしょう。  もちろん、現代の夏の暑さは、私たちの祖先が経験したものとはまた違う厳しさがあるかもしれません。油断は禁物で、熱中症対策は欠かせません。  しかし、私たち人間には、本来、他の動物にはない「暑さに立ち向かう力」が備わっているのです。この事実は、少しばかり誇らしい気持ちにさせてくれますね。先人たちの知恵と現代の便利な道具を上手に活用しながら、この夏もどうか健やかにお過ごしください。私たちに備わったこの素晴らしい能力を信じて、元気に夏を乗り切ってまいりましょう。