残酷な食物連鎖の生物界
蜘蛛が食べた跡に想うこと 庭先や部屋の片隅で、ふと自然の営みの一端を目にすることがあります。先日も、掃除をしている最中に、そんな光景に出くわしました。 床の隅に、小さな羽根が落ちていました。よく見ると、それは何かの虫の羽根のようです。蛾なのか、それとも蝶だったのか、胴体は見当たりません。ただ、薄い羽根だけが、そこにひっそりと残されていました。 不思議に思い、羽根が落ちていた辺りの壁を見上げると、そこには小さな蜘蛛の巣が張られています。どうやら、この羽根の持ち主は、この蜘蛛の餌食になったのでしょう。そして、蜘蛛は体の柔らかい部分だけを食べて、消化できない羽根だけをポイと捨てたらしいと、状況から察しがつきました。 このような光景を目にするたび、私は昔から変わらぬ一つの思いを巡らせます。もしこの世界の全てを創造した「神」という存在がいるとしたら、何と残酷で、そして容赦のない生き物の世界を創られたのだろう、と。 食物連鎖は残酷連鎖 生きとし生けるものは皆、自分が生きていくために、他の生き物の命を奪い、その体を糧としなければなりません。 草食動物も植物という命をいただき、肉食動物は他の動物の命を奪う。そして、その死骸にはまた別の生物が集まる。この連鎖は、私たちがこの地上で生命を維持していく上で、どうしても避けては通れない厳然たる事実です。自分の命をつなぐためには、他者の命を犠牲にしなければならない。これは、考えてみれば非常に苛烈で、悲しい定めではないでしょうか。 このような世界を作り出したのは、人間が考えるような慈悲深い「神」ではなく、もしかしたら、生きとし生けるものに常に争いと飢えをもたらす「悪魔」の仕業だったのではないかと、さえ思ってしまうことがあります。 私たち人間も、お腹が空くと無性に肉料理が食べたくなることがあります。これは、もしかすると、私たちの体のどこかに、他の生物を食らうことを宿命づけられた、ある意味で「サターン(悪魔)」のような存在から組み込まれた遺伝子のようなものが隠されているからなのかもしれない。 小さな虫の羽根一つから、そんな壮大な、そして少し恐ろしいような考えに思い至ることも、この年になって増えたように思います。自然の美しさの裏側にある、この抗いがたい生命の厳しさを、改めて感じさせられた出来事でした。